インドへ [インド '00.3.12-5.11]
2000年は合計4ヶ月かけて、4カ国でホームステイ。
全て、それぞれの国の家庭料理を勉強するためにと、
理由をつけて旅に出た。
本当は違う国に行こうとしていたけれど、
予算の関係と、やっぱり、料理を習うならというところから行く国を決めた。
インドへ行く直前はソウル3週間、香港に約10日。
一旦帰国して、再度出発。
・・・
名古屋空港からバンコク経由でデリー入り。
バンコクの空港で数時間時間をつぶして、デリー行きのゲートに向かう。
そこで、初めてインド人に囲まれて、
あぁ、私、何でインド行くことにしたんだろ~、
しかも、2ヶ月も・・・大丈夫かな~???
って少し、恐怖感みたいなものを感じたのを覚えてる。
でも、今さらどうにもならないし、とあきらめて飛行機に乗った。
寝てる間に到着。
到着した瞬間、さっきまでちょっと怖いと思っていたインド人にもなぜか慣れていて、
あぁ、もう平気!と思った自分にホッとした。
到着が1時間くらい遅れた上、おりるためのゲートに行くまでさらに1時間くらい待たされた。
その時AM1:00
入国審査も何事もなく出て、荷物も無事に受け取って、出口に。
当たり前のことながら、出口には迎えのインド人が群がってた。
また、ちょっと、恐怖感に包まれながら、迎えを探す。
見当たらなくて、きょろきょろしていると、一人話しかけてくる人がいる。
私の名前を言ってる。
でも私、この人本当に迎えの人?ついて行っていいの?
と心の中で、つぶやく。
でも、名前を言ってるんだし、間違いないよ、と言い聞かせて、ついていく。
古いワーゲンに乗り込み出発。
全くの初めての地。しかも、真っ暗闇の中。
しばらく走ったら、迎えの人、
「あとは運転手さんがちゃんと連れてってくれるから」
と言い残し、途中降りていった。
また不安が募る。
本当にステイ先に連れてってくれるんだろうか・・・
そんな不安の中しばらくたって無事に到着。
ステイ先のご夫婦とご対面。
ホッとしたぁぁぁぁ。
到着して時計を見るとたぶんAM3時頃。
そんな時間ってことを忘れていた。
あとあと、途中で降りていったのは、ガイドさんで、
飛行機の時間がかなり遅れて帰るのも遅くなったため、
運転手さんと相談して途中で降りていったのだそう。
デリーの小学校 [インド '00.3.12-5.11]
デリーに到着した翌日、
もうすぐ小学生になる娘さんアキシッタの
学業品を購入するために学校に行くというので同行した。
ちゃんとした教育を受けさせたいから私立小学校を選んだのだそう。
お国が違っても、こういうことは同じなのね~!
ホーリー [インド '00.3.12-5.11]
春の訪れを祝うお祭り。
この日はカーストも貧富も関係なく、色粉や水をかけ合うらしい。
お家の人に、危険だから、外には出るなと言われた。
お家の人達も家から出ず、お上品にほっぺたとおでこにペイントしてるくらいだった。
本当は、1歩外に出て、経験してみたかったな、と思ってる (笑)
写真はステイ先の2階からの景色。
カリー [インド '00.3.12-5.11]
インドへは家庭料理の勉強に行ったので、
いろいろと教えてもらうことになる。
最近は日本でもインド料理屋さんなども多くなっていてほとんどの人が知ってるけど、
日本のカレーとは全く違う。
確かに毎日、日本語にすると「カレー」になってしまう料理だったけど、
サブジと呼ぶ、汁気のないカレーだった。
これは、いわゆるカリー(カレー)
めったに作らないらしいけど、特別に作ってくれた。
カリーはシャビシャビな感じで、ヨーグルトやら、スパイスやらで作る。
パコラ(日本で言う天ぷら)を添えてご飯と食べる。
このお家はパコラは玉ねぎで作っていた。
小麦粉が違うのか、パコラがとってもおいしかった。
「じゃがいもとねぎのサブジ」
たいてい、じゃがいもと○○のサブジだった。
このお家はベジタリアンだったので、もちろん野菜のみ。
(結構、つらかったよ~。3週間過ぎた頃、肉でも魚でもなく、
とっても卵が食べたくなったのよ 笑)
リヤカーで売られている野菜は日本にある野菜ばかりで驚いた。
じゃがいも、なす、オクラ、ほうれん草、ねぎ、ピーマン、トマトなど。
海外で見る野菜は、大きさが違ったり、色が違ったり、ってことも多いけど、
インドでは、日本と全く一緒!と思った。
写真が残ってないのが残念!
ステイ先で困ったこと① [インド '00.3.12-5.11]
何度も書くけど、ステイ先の奥さんから家庭料理を習う、
ってことを目的として、行った旅。
日本のステイ先斡旋業者に、再三そのことを伝え、料理上手なお家を探してもらった。
それは、確かに上手な奥さんでよかったのだけれど・・・。
まず、深夜についた翌日、ご主人に
「今回の目的は何だ?」
と聞かれ、
「家庭料理を教えてもらうために来ました」
と答えた私。(あれ?知ってるでしょ?)
・・・・
ヒンズー語でなにやら話してる、ご夫婦。
すると、奥さんが、
「主人が教えてあげろと言うから教えてあげるわ」
って。
何でそんな言い方をするんだろう???と思いながら、
料理の時は、メモを取りながら、教えてもらいながら数日が経つ。
あるとき、奥さんが言い出した。
「料理を教えることは、料金に入ってないから教えて欲しかったらお金を払って」
と、
え????
すかさず、「はじめからそういう話をしてあるし、料金に含まれているはず」と言ったら、
「私たちは聞いていないし、お金ももらってない」と。
ちなみに・・・
インドに来る直前、ソウル・香港とホームステイをしていたのですが、
もちろん同じ料理目的だったのですが、斡旋業者から、一番大事な伝達事項が伝わっておらず、
ソウルでも、香港でも、受け入れ先の人は、私から初めて聞いて、教えてくれていた。
問題なくすんではいたのだけれど。
インドでは、十分知らせておいてください!という、やり取りをした後だっただけに、
斡旋業者への苛立ちは相当なものでした。
ステイ先の人は、含まれているというなら、
「○○さん(インドの斡旋業者)に言ってちゃんと払うようにしてくれ、
私が言えと言ったのは内緒にして、私の立場が悪くなるから」
と言うことで、私はちゃんと伝わっていなかったことの苛立ちをもって
○○さんと会う。
事情を話すと、ちゃんと伝えてあるし、お金も払ってる、と。
埒が明かない。
結局、インドの旅行社から日本の斡旋業者に電話もし、担当者に散々文句を言ってやった。
それだけで飽き足らず、、日本にいる妹にも電話をし、担当者に電話して対処してもらった。
日本からステイ先に電話が入り、担当者が言うにはステイ先を替えられる、と。
おいおい、そういう問題じゃないでしょう!!
今思えば、替えてもらえばよかったのかも、と思うけど、
実際、家の人を目の前にして、「じゃあ、替えてください」とは言えないもの。
この件以外はいい家族だったし。
歓迎してくれたもの。
後々、家の人は、○○さんから何か言われたのか、
「もうこれ以上は○○さんに言わなくていいわ、私の立場が悪くなるから」
と。
微妙だけど、こちらもそこは
「じゃぁ、払います!」
とは言えなかった。
後は、何も言わず、教えてくれた。
ステイ先で困ったこと② [インド '00.3.12-5.11]
ステイ先のご主人、と言うか、オヤジの話。
この家は、日本人の受け入れはしょっちゅうらしく、
私で24~25人目くらいと言っていたと思う。
家を見せてあげる、と言って、1階、2階、屋上と案内してくれた。
屋上についたときに、信じられない・・・
口説いてきたというのか、何と言うのか・・・
「夜、一人で困ったら、僕は奥の部屋で一人で寝ているからきてもいい」
と。おまけに、
「ちゃんと避妊もするから安心して」
と。
はぁ????
きも~~~い!!!
ありえね~~~~~~~~!!
どうも日本での援交の話なんかをどこからか仕入れてきて、
日本の女、みんながそうなのだ、と勝手に思い込んでいたらしい。
しかし、聞いていると過去24~25人の中の何とかさんは
夜中に僕のところに来たから受け入れたと言うのだ。
誰?その女!
しかし、なんて言っても家に奥さんがいると言うのに、なんでそんな言葉を口にできるかねぇ。
いろんな意味でありえない!
この話、私がステイ中、4日だけステイしに来た子がきて、
その子に家を見せてあげるって一緒に屋上に行ったときも同じ話をされた。
だから、ありえない、って。
奥さんは、「寝る時に部屋に鍵をかけなくてもいいよ、家は安全だから」
って言ったけど、毎晩鍵をかけて寝たさぁ。
まさか、奥さんにそんな話できないし・・・。
でも、オヤジが持ってた日本のイメージも、困ったもの。
そういうことは、何かしらのメディアから得るんだろうけど、
誤解を与えない報道をして欲しいな、とも思った。
インド門 [インド '00.3.12-5.11]
周りは芝生になってきて、このときはあまり人もいなくてさびしい感じがした。
第1次大戦で戦死した9万のインド人兵士の慰霊碑なんだって。
壁面には13500人の名前が刻まれてるって。
フマユーン廟 [インド '00.3.12-5.11]
皇帝のお墓。
タージマハルにも影響を与えてるものらしい。
ここの入り口前には、蛇使いがいたり、大きなカメを頭に乗せてる人がいたり。
でも、それらは観光客からお金を巻き上げるためにいたのだ。
どこでもそうだよ、と思うかもしれないけど、
とっても露骨。
笑顔ひとつなく。まず手を出される。
クトゥブ・ミーナール [インド '00.3.12-5.11]
柱1本1本の細工が細かい。
とってもきれいだった。
モスクがあったり、塔があったり鉄柱があったり・・・
デリー観光でははずせないところらしい・・・
インド人もいっぱいいて、現地の人にとっても大切なところみたい。
ラージ・ガート [インド '00.3.12-5.11]
ガンジーが火葬されたところ。
遺体や遺骨が収められてるわけじゃないけど、
周りは公園にもなっていて、ガンジーを偲ぶ人たちが後を絶たない。
不思議と心休まるような、清まるような場所だったような気がする。